祈り
愛は祈りだ。僕は祈る。
僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。
それぞれの願いを叶えてほしい。
温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。
最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。
突然何を言い出したかと思ったかもしれませんが、これは『好き好き大好き超愛してる』という小説の一部で、僕がこの世の小説の中で最も好きな書き出しです。
なぜ唐突にそんなことを書き始めたのか。
また、なぜ2年以上も放置していたブログをこのタイミングになって再開させたのか。
どっかの偉い学者が言っていました。
「この世の全てには理由がある。」
なるほど、僕もそう思います。
知らんけど。
まあ、長くなりましたが前置きは以上。
こっから本編です。
覚悟してください。
結論から言おう。
この場合の「結論」とは…?となってる人もいるだろうが、結構から言おう。
留年しました。
大学を、留年しました。
これはもう、結論だろう。
「結論」以外の何でもない。
これを結論でないとするなら何が結論だろうか。
なんてどうでもいいんですよ、大学を留年しました。
本筋はこっち。
社会人生活1週間お疲れ様〜!!じゃないんですよ、留年してんだわこっちは。
嘘みたいだけど嘘じゃないぜ。
いや、嘘であってほしいなんて僕が一番思ってるけどさ。
正真正銘事実、マジの真面目にリアルガチ。
これは本当にね、大変なことですよ。
本当に。
ただ、この留年が発覚したのは最近のことではない。
この世の全てには理由がある。
順を追って説明しよう。
僕は日大の国文学科という学科に通っている。
高校が日大の附属だったので、内部進学という形だ。
日大の附属校では、全国の附属校で行われる統一テストがあり、その出来によって志望する学部学科に進めるか否かが決まる。
僕の第一志望は芸術学部の放送学科。
日大は全国の大学の中でも最大級の規模を誇り、学部学科の数も非常に多い。
その中で、僕が一番惹かれたのが放送学科だった。
思えば、それまで何も自分で決めてこなかった人生だった。
小学校・中学校は「姉が通っていたから」という理由で姉と同じだったし、高校は親が「ここがいいんじゃない?」なんて言うから受けただけで、自分で進路を選択した経験なんて全くと言っていいほどなかった。
そんな僕にとって、「ただ面白そうだから」なんて至極単純な動機でも、放送学科を目指すには十分だった。
だが、結局放送学科に入学することは叶わなかった。
統一テストの結果、セレクションから落ちてしまった。
酷くショックを受けた。
ある程度覚悟しているつもりだったが、それでもしばらくは前を向けなかった。
セレクションの結果、僕は第三志望の文理学部国文学科へ入学することとなった。
入学してからは、新しい環境への期待や、キャンパスライフへの憧れもあって、放送学科に落ちた悔しさなど忘れていた。
なにより、そんなことをずっと引きずっていても仕方がないと自分に言い聞かせていた。
しかし、そんな自己催眠はおよそ1年ほどで効力が切れることになる。
2年生の途中くらいから、自分のやりたかったこと自分のやっていることとの乖離が激しくなってきた。
そうなってしまうと負の思考回路が止まらなくなる。
「俺は今何のために何の勉強をしているんだ?」とか、「国文学を勉強してて役に立つ職業って何?」とか、延々とどうしようもない自問自答に頭を支配される。
本当はもうそんなこと何も考えずに目の前のやるべきことをただこなせばいいんですよ。
そんなのわかってるんです。
でも、できないんですよ。
できなくなってしまった。
一度負の落とし穴に嵌ってからの僕は酷い有様で、ありとあらゆるモチベーションが下がっていく一方だった。
平日の朝、決まった時間に起きて、時間的には全然間に合っているけど、どうしても大学へ向かう気になれなくてそのまま授業をサボってしまったり、あらゆる課題や書類の提出が面倒臭くなってどんどん先送りにしてしまったり。
あんなに綺麗好きだったのに部屋の掃除なんてしなくなった。
趣味のマンガも買わなくなったし、サークルに行く機会も減った。
日常的なルーティンや、当たり前にできていたことが当たり前にできなくなっていくことで、緩やかに社会的な死が身に迫り来るのを感じる日々。
精神的な問題だけで済めばまだ良いが、2年生の後期ごろからは体調にも異変が起き始めた。
頭に霧がかかったように冴えないし、胃腸の調子が永遠に悪いし、寝付きも寝起きも悪いし、たまに吐き気がするし、常に低血圧な感じがする。
要員は色々あるんだろうが、大体ずっとこんな感じだ。
年中こんな調子なので、大学入学時から10kg以上体重が減ってしまい、体脂肪率は1桁になった。
最悪のダイエットだ。
そんなこんなで取得単位数もGPAも右肩下がりに落ちていった末に、4年次に進級する頃には、既に、留年が確定していた。
…と、言うのが大まかないきさつである。
実を言うと、放送学科の転部試験を受験したこともあるんですが、不合格でした。
まあ、なのでそこの部分に関しては諦めて結局は目の前の壁を越えなければならないというのが現状です。
「4年間で卒業できないとかありえねぇから」が口癖の父親と「卒業旅行どこに行きたい?日程早く決めようよ」が口癖の母親に板挟みになり、ギリギリまで留年の報告を先延ばしにしていたら死ぬほどキレられてめちゃくちゃに人格を否定されたりしたけど僕は元気です。
嘘、元気ではないな。
元気ではないけど、まあ大丈夫です。
これでも回復した方なので。
これを読んでくれている人の中には色んな面で気にかけてくれている人もいるかもしれませんが心配は無用です。
卒業式にも卒業生のコスプレをして参加していたくらいの男です、僕は。
むしろ気を遣われるのが嫌で今まで何も言ってなかったというところが大きいので。
なので全然飲みとか誘ってください、LINEでもDMでもお待ちしております。
僕は定期的に人に会わないとどんどん内向的になってしまう性分なので。
ただ、この2、3年間、自分の都合で迷惑をかけてしまった人たちが沢山いて、その人たちには本当に申し訳ないし、いつか謝らなければならない。
本当にごめん、でも、ここまで出会ってくれた全ての人のおかげで僕はまだ生きてられてるんですよ。
色んな人に支えられて、色んな人に救われてきたからなんとかやっていけてると思います。
だから、僕は精一杯の愛を伝えたい。
愛を伝えたいだとかくさいことばっか言ってるけど、僕には祈るしかできない、から、祈る。
僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。
それぞれの願いを叶えてほしい。
温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。
最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。
僕はもう一年桜上水にいます。
それでは。
二十
二十歳になった。
二十歳になってしまった、という表現の方が正しいかもしれない。
僕が小学生の頃は「二十歳」なんて遠い遠い未来の話だと思っていたし、その時には自分はどんな大人になっているんだろうとワクワクしていた。
じゃあ実際はどうなのかというと、幼い僕の期待には答えられていない気がする。
勉強も部活も大した結果を残せず、青い春も桃色の片思いも無いままティーンエイジを終えてしまった。
年齢が二十歳になったからといって自動的に大人の仲間入りです、だなんて随分と残酷だと思う。
社会的な生活を送れる力があまりにも伴ってない。
最も、10年前の自分に比べればこれでもだいぶ真っ当に成長した方ではあるけど。
10年前の自分クソガキすぎる。
ここまでネガティブなことばかり言ってるけど二十歳になるのが嫌なわけではない。
ずっとネバーランドに居られるわけもない。
二十歳になったことでできることはたくさん増える。
その分大人として自立しているという認識な訳だけど。
「人に成る」と書いて「成人」だけど果たして僕は人に成れているのでしょうか、人でなしの方が近い気がするな。
でも頑張ります、大人なので。
二十歳になった僕をこれからも、今までと変わらずよろしくお願いいたします。
とりあえず一足先に成人した皆様いっぱい飲みに誘ってください。断らないので。
それでは。
8月31日
以前こんなことを聞いたことがある。
日本で最も中高生の自殺者が多い日は、9月1日だ、ということを。
理由は「学校が始まるから」。
確かに、振り返ってみればいつも僕だって終わることに絶望して、始まることに絶望してた。
と、思う。
もう何も憶えていないけど。
でも今日になってそんなことを思い出したのは偶然ではない。
何故なら今日は8月31日だから。
平成最後の8月31日だから。
大学生になる前は、9月1日が夏の終わりを告げる明確な印で、夏が始まった瞬間からそこへ向けて収束していくんだという意識があった。
だからこそ秋という季節が嫌いだったり、8月31日に残った課題に頭を抱えたりしたのかもしれない。
期間中に課題を終わらせたことなんて一度もないけど。
大学生になってからは始業式も終業式もなく、8月も9月も夏休みで、授業が始まる時期すら大学によって異なる。
いつしか僕らは夏が終わったことも知らされず、曖昧にまた生活を続けるようになってしまった。
気付けば19年間共に育ってきた一つの時代が、収束に近づいているらしい。
そんな平成最後の8月31日に、俺は気温34度の炎天下、中野で汗だくになりながら引越しして、一人マクドナルドで月見バーガーのセットを食うだけで終わったなんて呆気なさすぎませんか。あまりにも。
いや、そんなもんなのかもな。
人生なんていつだって。
…なんて感傷に浸ることも今じゃほとんどなくなってしまった。
でも、それでいいんじゃないか?とも、思う。
僕がブレザーを着てあの校舎へ帰ることは二度とないけれど、僕には僕の日々が続いていく。
9月1日に中高生が自殺者数が多いだとか、真夏のピークが去ったとか、平成最後の夏が終わったとか、じゃなくて。
社会人含め小中高生の平成最後の夏が終わっても、僕らの平成最後の夏休みは延長戦へと続いていく。
悪足掻きでもいいし、思い出作りでもいいだろこの際。
僕は僕の夏を、あなたはあなたの夏を後悔しないように。
それでは。
開設によせて
みなさんこんにちは、あるいはこんばんは。
とにかく、わざわざご覧いただきありがとうございます。
まず始めに、なぜ僕が突然ブログを始めるに至ったのか。そしてなぜこの時期なのか。このブログではどのようなことを書き連ねていくのか。
それほど深い意味なんて無いですがご説明させていただきます。
時期について
実を言うと19歳の誕生日を迎えた当日(5ヶ月前)にブログは開設していたんですが、ずるずると投稿できぬまま放置していました。
ただもう5ヶ月経ったし、平成最後の夏だし、前期も終わって良い機会だからそろそろ書いてみるか、という流れで今回初めてブログを投稿しています。
僕がブログを始めるに至った理由
前提として基本的に僕はTwitter(多数の人間から見られるSNS)で、ネガティブな発言などをほとんどしなかったり、果たして本当に呟くべき内容なのか、とかって結構考えてたりするんですね。
とは言っても僕だって聖人君子じゃありませんから、はらわたが煮えくり返るくらい苛つく時だってあるし、不安に駆られて泣きそうな時だってあるわけです。
でも冷静に「フォロワー 600」みたいな数字を見ると「これはわざわざここで発言することじゃないな」って思うんですよ。
逆に数百人以上もフォロワーがいるのにネガティブな発言してる人とか、他のコミュニティもあるのに数人だけにしか伝わらないような内輪ネタとか呟いてるのを見ると、こっちまで不安になってくるんですよね。まあSNSの使い方なんて各個人で違って当たり前だし、僕が口を挟む権利なんて無いんですけど。
まあ後は国文学科だし。文章を書く練習をしておいて損は無いだろうというくらいのふわふわした動機でやっています。
前置きが非常に長くなり、申し訳ありません。
要するにですね、140文字じゃ言えないこと、伝わらないことをつらつらと書いていくよ。ということでございますね。
そしてわざわざブログに見にくる人しかいないなら僕の普段思ってることを好き勝手に言いまくってやろう、というほぼ自己満ブログということでございます。
稚拙な文章ではございますが、着飾らない素のままの僕を気が向いたら見に来てください。
好き勝手に書き連ねていく予定ですが、少しでもあなたの人生の糧になれば幸いでございます。
それでは。